皆さんは自分の生まれ育った国であるここ「日本」の国名の意味をご存知ですか?また、違う言い方をすれば、「日本」という国名に意味があった事をご存知でしたか?日本では海外情報が容易に得られ、若者を中心として数々のスラングや略語が生まれ、その意味を知る事が重要視される風潮があるにもかかわらず、生まれてからほぼ毎日暮らしているであろうこの国の国名の意味を知ってる人ってどれだけいるのだろうか?さらに噛み砕いて言えば、その意味に一度でも関心を持った人はどれだけいるんだろうか?この映画はそんな素朴な疑問を投げかけている。
GOが撮影された時の世界は少なくとも今より平和だった。今まで実感することなく当然の権利として捉えていた平和への関心が高まる昨今、この映画は私にさまざまな現実を突きつけた。民族という壁、国籍という資格、プライドと妥協、暴力と正義、そんなモノのすべてが目では見えない時がある。しかし視覚で判別できない違いを人はどうして見たがるのか。アメリカでなら日本人を容易に判別する事は可能だ。でも、アメリカでも日本でも日本人と韓国人を判別する事は難しい。しかし、日本人と韓国人は違う。外見は似ていても背負うものがまったく違っているかもしれない。とりわけ日本で生まれて育った韓国人にとっては。そんな目に見えない違いや負荷をこの映画は主人公の少年を媒体として、ユーモラスにそして真剣に描いている。
ちょっとクドイくらいのバイオレンス、いちいちハートを突き刺すダイアログ、ナンセンスな儀式、正義の為に奪われた若い命、DNAより重要な親子の遺伝子と国籍、血統によって引き裂かれた愛、目に見えない国境、・・・ひとつひとつのシーンがテーマやメッセージを持っていた。だからこの映画はチェスのゲームの様に、意味のない動き(シーン)などひとつもない。
窪塚くんが演じる主役の杉原は、彼が演じた役の中でもIWGPのキングの次にハマリ役。高校生役ならまだしも、中学生まで違和感なく演じてしまう彼のエイジレスな存在はミステリアス。ここで今更彼の演技力の評価を書き示すのは、ベートーベンに向かって「イイ曲書くね!」というのに等しいくらい失礼な事なので書かない。それにしても、素晴らしい。
杉原が最も尊敬するジョン・イルに悲劇が起こった時、そしてその悲劇を痛む杉原が落語を見に行くシーンは、日本映画の名場面集として後世に残るのではないかと思うほど心打たれた。後述のシェークスピア繋がりの延長にあるこのシーンで、泣きに泣いたのは言うまでもない。
私のお気に入り脇キャラのひとりである俊足のタワケ先輩は、山本太郎さんが27才で高校生を演じた。ひょっとして森田健作さん=「オレは男だ!」や、石橋正次さん=「飛び出せ!青春」の高齢者高校生役記録を抜いたのではないか?(爆)また、杉原の両親を演じた大竹しのぶさんと山崎務さんのキャスティングはお見事。山崎さんのアカペラ独唱の♪Silent
Night, Holy Night(きよしこの夜の英語の歌詞)のくり返しは今でも耳に残る。
映像は、マドンナのご主人であるガイ・リッチー(代表作「ロック、ストック&ツー・スモーキング・バレルズ」、ブラッド・ピットの「スナッチ」)やダニー・ボイル(代表作「トレイン・スポッティング」、デカプリオの「ザ・ビーチ」)に勝るとも劣らない独特のタッチが活きていた。また、映画「恋に落ちたシェークスピア」の特徴的な手法がこの映画の中にもあった事に気づかれた方はいましたか?それは、杉原と桜井が出会うシーンで効果を発揮していた。脚本は、私の中のカルトドラマである「池袋ウエストゲートパーク」の宮藤官九郎氏であった事も重要。
あまり邦画は見ないので、狭い範囲の中での比較になるが、最近見た邦画の中では一番感動したと言える。様々な紙面でも絶賛されていたけれど、確かに期待以上だった。
ところで「GO」というタイトルは何故なんだろう?原作を読めば分かるのかな?
以下は余談。
私の学生時代、クラスに「金(キム)」さんがいて、担任をはじめクラスのみんなが彼女の苗字を日本語読みをして「きん」さん(或いはちゃん)と呼んでいた。私は彼女と親しくなるのだが、ある日の昼休み、彼女から「これからは「きん」じゃなくて「キム」って呼んでくれない?」と告げられた。それまで私は彼女を「キム」って呼んだら、彼女が韓国人であるという事が、彼女が韓国人である事を知らない人に分かってしまって逆に嫌な思いをするんじゃないかと、気配りのつもりで「きん」ちゃんと呼んでいた。しかしそれは私の日本人としての思い上がりからくる配慮だったとその時我に返って気づいた。そして、彼女が日本人ではない事を隠そうとしてるんじゃないかと思い込む事で彼女自身や彼女の韓国人としてのプライドを傷つけていたかもしれないと初めて知った。と同時にその瞬間、私と彼女との間に境界が出来たような気もした。だから、柴崎コウさん演じる桜井が、窪塚くん演じる杉原が日本人ではない事を戸惑った気持もわからないではない。でも、そのシーンで彼女の取った行動と放ったセリフは許せないし、理解する事はできないが・・・。例え生まれも育ちも日本だからといっても、日本人だけが日本に住んでいるわけではないし、日本人として受け入れられたいと思っている人たちばかりではない事をその時初めて深く考えた。私たち日本人が海外に渡ったらきっと同じ様な感じ方をするのかもしれない。
個人のアイデンティティーとは?それは戸籍や住民票やパスポート、外国人登録票、ましては履歴書や苗字の読み方なんかでは表し尽くせないはずなのだから。
この映画を見て、平和国家である日本に属する平均的日本人である事と、日本にまったりと存在する平和のありがたみを感じないではいられなかった。しかし、それでイイのかは不明。
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